袋井北祭りの歴史
袋井北祭りは、袋井市の北地区(20町)で 毎年10月に行われる 五穀豊穣を祈り、無病息災を願い行われる祭礼です。
袋井北地区は、かつて 久努西村 と呼ばれ、明治22年に 鷲巣村(現在の鷲巣上・下) 山科村の一部(現在の山科上・下) 堀越村(現在の堀越上・下) 久能村(現在の上久能・中久能・下久能・可睡・北町・泉町・旭町・葵町・田町・天神町) が合併して誕生しました。
さらに遡ること明治の初期、これらの村々も《鷲巣村》については 東別所村・上末本村・下末本村、《山科村》は 西別所村・鶴松村ほか、《久能村》においては 上久能村・中久能村・下久能村といった構成でそれぞれ合併されていた歴史があります。
そのため、この地区では 六所神社・八幡神社・日吉神社・津島神社・天神社・須賀神社・加茂神社等、各地域に神社が奉られており それぞれの氏子町内で祭礼が行われてきたようです。
時代は流れ 昭和23年に袋井町と合併、袋井町となり 市制施行によって 袋井市へと変遷を遂げる際、20町で構成される 袋井北地区となった現在も、氏神への厚い信仰は 先人から現代の地域住民へ脈々と受け継がれています。
祭礼では 各々の町内で 遠州地方で使用される屋台の中でも特徴的な 二輪屋台による曳き廻しを行ってきました。
時代の流れと共に 袋井北地区の世帯と人口は増え続け、それに伴って各町の祭典が 年々盛り上がりを見せる中、北地区内の祭典を統括する組織を立ち上げるべく、平成18年に 葵町祭青年の頭取(野元護氏)を中心とする有志数名により、袋井北地区 全町の祭青年代表者を集めたのが 今の袋井北地区祭典の第一歩となります。
惜しくも、その年には 袋井北地区 全ての屋台が集まることは叶わず、翌年 平成19年度 袋井北地区祭典の開催において、堀越下大當番にて 念願の袋井北地区全16台の屋台が集まり、袋井北小学校前での 十六車連合が実現しました。
泉町が大當番となった 平成27年、祭典統一委員長(袋井北自治会連合会会長 高橋正則氏)のもと、袋井北地区祭典の母体となる組織、袋井北地区祭典委員会の発足に至ることとなり、祭典3日間を通じて 袋井北地区での祭典全体を見守っていく 祭典本部が設置されました。
以降、 祭典二日目には 袋井北地区 全ての屋台16台が 祭典本部のある信州街道に集結し、袋井北地区祭典 十六車連合が 華々しく開催されています。