Introduction
  • HOME
  • 【令和二年度】十六車のご紹介

【令和二年度】十六車のご紹介

今年度の頭取の想い

令和2年袋井北祭り大當番頭取 山科下西龍車寺田圭吾です。
今年は新型コロナウイルス感染拡大に伴い、全国的にお祭りという名の催しが中止となっていることが多く、私たち袋井北祭りも、協議を重ねた結果中止という苦渋の判断をせざるを得ない状況となってしまいました。非常に残念ではありますが、今後の袋井北祭りの盛大なる開催を実現していけるよう、今できることを精一杯行い、次年度へバトンタッチできるようにしていきたいと思います。
今年の袋井北祭りの開催を楽しみにしていた、北地区住民の皆様、ご理解ご協力を頂いております関係各所の皆様、そして今年の祭典を盛り上げようと一緒に尽力してくれた各町頭取、祭典協議会の皆様には心よりお礼申し上げます。

我が町PR
山科下自治会は、北地区再西端の町です。元々40軒程度であった世帯数が、ここ10年で、2倍以上の100軒余りの世帯数となり、主に若年層世帯が多い、勢いと活気のある町となっています。
屋台は、昭和45年に建造された、山科上の先代屋台を、平成12年に譲り受け、改築や彫刻の追加を施し、2代目西龍車として生まれ変わりました。現存する北地区の屋台の中では一番古く歴史ある屋台です。彫刻も市内では珍しい、中国の彫り師による、手彫りの彫刻です。
祭典3日間を通し、自治会員には祭り青年自慢の手料理が振舞われ、多くの自治会員が楽しみにし、良いコミュニティの場となっていたのですが、今年度は祭典中止となってしまいとても残念です。今後また祭典が開催できる日を願い、子どもも、青年も、年配の方々も皆が楽しめる祭りが来ることを楽しみにしております!

 

今年度の頭取の想い

来年度の大當番に向けて青年一同、意識を上げています。今年のフラストレーションを糧に来年素晴らしい祭りに出来るよう頑張りたいと思います!!

我が町PR
可睡鳳凰車は昨年、三十周年を迎えました。三十一年間の歴史を感じさせる趣ある屋台を皆様に見て頂ければと思っていましたが、残念ながら本年は屋台を出す事が出来なくなってしまいました。来年は今年の出せなかった分も合わせて皆様に見て頂き、より一層盛り上がる祭りを感じて頂きたいと思います。

今年度の頭取の想い


今年は頭取でもあり、屋台幹事町という役を務めるので幹事町の名に恥じないようにがんばります。

我が町PR

泉町は他町と比べ、人数が少ないですが、団結力が固く、どの町にも負けない仲の良さで祭典をやっています。

今年度の頭取の想い


中久能瑞鳳車頭取の高橋です。
今年度は幹事町として大當番と協力し安全で楽しい16車連合になるよう盛り上げて行きたいと思っていましたが、新型コロナウイルス感染症の為、北祭りが中止になってしまい大変残念です。来年度は北祭りが開催出来る事を願いたいです。

我が町PR中久能の青年達は元気で明るく楽しくどの町にも負けない仲の良さです。
その青年達と百名を超える元気な子供達とで屋台を曳き廻す姿は最高なのですが、今年度は北祭り中止になってしまい皆さまにお見せ出来ない事が残念です。来年度北祭りが開催出来た時には、ぜひ皆さま曳き廻しを楽しんでいるみんなの笑顔を見に来てください。

今年度の頭取の想い

今年度の祭典が新型コロナウィルス感染症拡大の影響により中止となってしまいました。
次年度に向け次年度頭取のお力添えができる様に次年度も努めてまいります。宜しくお願い致します。

我が町PR

900年程前に京都の上賀茂神社より勧請されたお宮が現在の賀茂神社という歴史の古い町です。
その名から屋台には賀茂社の名を頂いております。
古くからの風習や伝統を大事にしている町です。

今年度の頭取の想い

葵町あおい頭取、大場諭です。今年は、新型コロナウイルスの影響で、残念ながら袋井北祭りは中止となりました。一日も早い新型コロナウイルスの収束を願い、来年は袋井北祭りが盛大に開催されることを楽しみにしています。

我が町PR

子供からお年寄りまで町民ひとつとなり、盛り上がりのある町です。町内曳き廻しでは、お子様が生まれたご家庭に出向き、御生誕太鼓を披露し、町民全体で御祝いしています。小学生の子供たちによる道囃子も見所です。夜の町内屋台曳き廻しも盛大に行われています。各種団体の皆様方の思いも背負い、葵町祭青年一丸となって祭典が盛り上がるよう頑張っています。

今年度の頭取の想い

新型コロナウィルスという目に見えない大敵により連合行動を始めとする屋台の曳き廻しが中止となってしまい、とても残念であります。
令和に入り、新しい時代、そして今年は新しい生活という変化の時代となりました。
来年度は、新しい時代で新しい生活での経験を活かし、北祭りを最大に盛り上げていきたいと思います。

我が町PR

堀越下は16町の中でも人数が多く、祭典へ参加する人もとても多い地区です。
屋台のロープ内で元気に盛り上がる子供たち、屋台に向かって手を振るお年寄りとお祭りが大好きな人たちばかりです。
堀越下の一番の見所は最終日の堀下ロード!
格納前の屋台小屋前、最高なフィナーレを飾ります。
ぜひ、この瞬間を見て頂ければと思います。
6年後(令和8年)は堀越下祥南車50周年です。
一層盛り上がって行きます。

今年度の頭取の想い

残念ながら令和二年度の袋井北祭りは中止となりましたが、また来年十六町揃っての引き廻しが出来る事を楽しみにしています。

我が町PR来年こそ、豪華絢爛な山車と共に祭り青年の息の合った勇壮な引き廻しを是非見に来てください。

今年度の頭取の想い

子供からお年寄りまで上久能全体そして北地区が楽しく盛り上がる祭典にしていきたいと思います。

我が町PR

我が町上久能は絆と笑顔溢れる祭典を行っております。
屋台は平成27年に落慶しました。屋台大工は森町(有)山本建築に施行依頼、彫刻は井波彫刻土田さん。
天女の羽衣をまとった様な高欄、御簾脇には鍾馗の鬼退治。
袖には鯉の滝登り欄間には天の岩戸の物語。
天照大神などの彫刻が入っております。

今年度の頭取の想い

少人数の町ですが、子供からお年寄りまで、来年も楽しめる祭りにしたいと思います。

我が町PR

青年のみならず、自治会と一体になってできる祭典です。
次年度引き継いで取り組んでいきたいと思います。

今年度の頭取の想い

田町 天恵車 頭取 西山索太朗です。
令和2年、全世界的に大変な年に頭取を務めさせて頂く事になりましたが、残念ながら祭典の開催ができませんでした。来年こそ素晴らしい祭典ができる様、心よりお祈り申しあげます。

我が町PR

昨年、屋台の大規模改修を行いました。
全面に漆・金具を施しており、細かい描写で立体感のある彫刻です。
来年皆様にお会いできる事を楽しみにしております。

今年度の頭取の想い

多くの方が祭典を通じて、絆や繋がりが深まる日になり笑顔が溢れるような思いを来年以降にも引き継いでいきたいと思います。

我が町PR
貴町は、緑豊かな山々や田園が広がり久野城跡の史跡があることから歴史のある地区です。屋台には貴町にちなんだ彫刻が刻まれており人形は毎年手作りで制作し、クオリティが高く注目を浴びています。今年は残念ながら披露出来ませんが、来年は是非ともご観覧ください。

今年度の頭取の想い

今年度は新型コロナウィルス感染症拡大の影響により祭典中止という事になりました。来年度は祭典ができるように皆様で感染予防をしていきましょう。

我が町PR

今年度は新型コロナウィルス感染症拡大の影響により、堀越上自治会においては屋台の引き廻しを始めとして、祭典行動の中止を決定いたしました。
祭典を楽しみにしていただいている皆様には大変申し訳がないのですが、参加者及び関係者の健康と安全を第一に考慮し判断をさせていただきました。
先ずは一刻も早いコロナ禍の収束を願い、来年度の祭典を万全の状態で迎えられるよう祭青年一同、尽力していきたいと思いますので、ご理解・ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。

今年度の頭取の想い

祭典本番は安全で楽しい祭典になるよう北町祭青年のトップとして運行をしていきたいと思います。

我が町PR

屋台は2代目鳳凰車として6年目を迎えます。昨年新調した2尺を超える大太鼓が見ものです。
坂道の多い北町、子供からお年寄りまでが祭りに参加します。
祭りに参加する全員が協力し屋台の運行をする団結力のある町です。

今年度の頭取の想い

天神町 天神車 頭取の松本満です。天神町は祭文化の無い地域から入会された方も楽しめるような環境下で、子供も大人も全員が楽しめる祭を目指しています。今年度はとても残念ではありますが、古き良き文化を継承しつつ新しいものも取り入れながら、全員が楽しく、記憶に残る祭を後世に引き継いでいきたいと思います。

我が町PR

天神町は、以前は久能向(くのむかい)という町名でしたが、2002年(平成14年)に区画整理事業が始まり、2005年(平成17年)に久能から独立し、町名を天神町に変更しました。また、屋台引き廻しは北地区の中でも歴史が古く、1972年(昭和47年)に春岡より屋台を譲り受け引き廻しを開始し、その後1974年(昭和49年)町内有志で二代目屋台を新築し、三代目の屋台として1991年(平成3年)に手木より上の部分を改築(新築)し現在に至っています。

令和2年度 鷲巣下鷲栄車 頭取 藤原孝洋 と申します。

袋井北地区祭典(袋井北祭り)も年々と団結力が増し、袋井北地区十六車を表すロゴも今年からお目見えとなりました。
デザインされたロゴは二輪屋台をモチーフに描かれ、そのコンセプトの3つのわ(輪・和・話)を表しています。

今年は世界的な新型コロナウィルス蔓延という不測の状況下のため、残念ながら袋井北祭り全町全車の屋台曳き廻しを行えませんが、来年以降この新型コロナウィルスの状況が終息することを願うと共に、袋井北地区祭典を通し地域住民全員で将来を担う子供達の笑顔を絶やさない唯一無二の地域の文化・歴史となるような祭典をこれからも一緒に作っていきましょう。

『”お祭り大好き”な子供がたくさんいる町』
『祭典に対して非常に情熱的で活気のある町』
それが我が町 《鷲巣下》 です。

先人者の話によると、昭和40年代後半、袋井北地区内のあちらこちらで屋台を曳き廻す形での祭典が行われるようになってきたころ、鷲巣下でも昭和49年に【初代 鷲栄車/工匠 名倉建築】が建設され、日吉神社・八幡神社の両神社 神事祭典に屋台の曳き廻しが加わり新たな鷲巣下祭典が始まったそうです。

鷲巣下の住民と32年もの永きに渡り、数々の思い出を育んできた初代鷲栄車はその役目を終え、平成18年に現在の【二代目 鷲栄車/工匠 三室建築】へとその姿を大きく変え、落慶を迎えました。この頃には自治会から祭青年が祭典運営を全面的に任されるようになり祭青年役員を中心に祭典に対する責任感を強く意識するようになりました。鷲巣下鷲栄車頭取も初代(高橋正門氏)から数えて今年で四十七代目になりました。これまでの歴史の中で諸先輩方からの祭典に対する考え方や教えが、祭青年の中に着実に根付いていきました。その教えの一つが、屋台前面に位置する『欄干』に対しても表れています。『欄干』は「屋台曳き廻し」や「練り」のときなどに祭典参加者が上がって盛り上がることがしばしばありますが、鷲巣下では『欄干は神様が鎮座する神聖な場所』として足を踏み入れないことをルールとするなど、鷲栄車歴代頭取が培ってきた伝統と理念、祭典への熱意は今も脈々と受け継いでいます。

鷲巣下祭青年の屋台に対する情熱は熱く、祭青年自らの手で入念にメンテナンスを重ね大切に扱われている二代目鷲栄車は14年経った現在も完成当初から変わることのない姿を保ち続けています。昨年、令和元年9月には鷲栄車の魅力を更に引き立たせることとなる彫金装飾を祭青年の力で増設することができました。これからも、我が町の鷲栄車は袋井一の屋台となるべく、豪華な飾付や迫力ある彫刻で見る人を魅了し続けることでしょう。

鷲巣下祭青年は袋井北地区随一の体制と団結を誇りに、昭和から平成、平成から令和へと続く鷲栄車の歴史と共に、この伝統と精神を次の世代にも受け継いでいきます。