Introduction
  • HOME
  • 【令和三年度】十六車のご紹介

【令和三年度】十六車のご紹介

今年度の頭取の想い

令和三年度袋井北祭り大當番 可睡鳳凰車 頭取 中山泰成です。一昨年の台風、去年のコロナで二年連続で十六車連合が中止になってしまい、今年度こそ十六車連合の勇壮な屋台引き回しを行おうと頑張ってまいりました。残念ながら今年も新型コロナウイルス感染拡大に伴い、袋井北祭り全ての運営を中止することが決定されました。
来年度こそは十六車連合が実現できるよう大當番の顧問としてサポートしてまいります。
今年は実現できませんでしたが準備や会合等祭典開催に向けて共に尽力していただいた皆様、誠にありがとうございました。
我が町PR
可睡鳳凰車は本年三十二年を迎えました。三十二年間の歴史を感じさせる趣ある屋台を皆様に見て頂ければと思っていましたが、残念ながら本年もまた屋台を出す事が出来なくなってしまいました。来年は去年、今年と出せなかった分を合わせて皆様に見て頂き、より一層盛り上がる祭りを感じて頂きたいと思います。
 

今年度の頭取の想い

令和三年度袋井北祭小當番を務めます、山科上賀茂社頭取の佐藤洋文と申します。昨今の社会情勢を受け、祭典開催の判断が非常に難しいのかで頭取を努めることとなりました。責任のある立場を認識しつつ、地域住民の安全と安心を最優先に考えて、子供から大人まで楽しめる祭典をできれば良いと願っております。
今年度に関しては、子供の参加が出来ない旨のガイドラインが含まれており、「神社氏子による神社祭典が主となる中で、住民皆が参加できる状態でなければ実施するべきではない」と自治会内で協議させていただき、祭典中止方針の判断に至りました。
マスク着用がなくなり、今まで通りの生活、祭典が出来るまでは我慢も必要です。次年度以降、生活、経済が良い方向へ変化していくことを願い、私のご挨拶とさせていただきます。

我が町PR

我々の自治会は袋井北地区の北西に位置し、賀茂神社の氏子100世帯の地域です。
諸説ありますが、昔々この土地に住む人が鶴が松にとまっているところを見つけ、「非常に縁起の良いことだ」と、古くから山科上の地域を”鶴松”と呼ぶようになりました。それを象徴するかのように自町の法被には縁起物の”鶴”と”松”が大きく描かれています。

今年度の頭取の想い

祭典本番は安全で楽しい祭典になるよう北町祭り青年の長として運行をしていきたいと思います。

我が町PR

屋台は2代目鳳凰車として7年目を迎えます。まだお披露目できていませんが一昨年新調した2尺を超える大太鼓が見ものです。
坂道の多い北町、子供からお年寄りまでが祭りに参加します。
祭りに参加する全員が協力し屋台の運行をする団結力のある町です。
今年も連合行動中止となり大太鼓お披露目することができませんでした。また来年をお楽しみに!!

今年度の頭取の想い

本年度もコロナウィルスの影響により、祭典中止となり残念ですが、少しずつ通常の日常生活が送れるようになり祭典が開催されることを祈ります。

我が町PR

堀越上は総勢約100名青年の在籍する地区です。大状態ではありますが、大人から子供まで楽しく祭典をしています。

今年度の頭取の想い

葵町あおい頭取 佐野真也です。
今年は、新型コロナウィルスの影響で残念ながら葵町祭典は中止となりました。一日も早い新型コロナウィルスの終息を願い、来年は袋井北祭りが盛大に開催されることを願っています。

我が町PR

子供からお年寄りまで町民ひとつとなり、盛り上がりのある町です。町内曳き廻しでは、お子様が生まれたご家庭に出向き、御生誕太鼓を披露し、町民全体で御祝いしています。小学生の子供たちによる道囃子も見所です。

今年度の頭取の想い

2年続けて祭典中止となってしまい、とても残念です。ワクチンの効果によりコロナウィルス感染者も下降してきているものの、油断はできない状況であります。Withコロナでの環境の中、役員をはじめ皆で考え活動をしてきました。来年こそはコロナが収まり、楽しい祭典が出来ればと思います。

我が町PR

屋台を優雅に寝る青年、白木屋台にライトが当たった彫り、とてもカッコいい、キレイな屋台です。最終日の夜、屋台格納前の屋台小屋前では道路いっぱいに人があふれ最大な盛り上がりをします。堀越下の盛り上がりはどこの町にも負けません。

今年度の頭取の想い

旭町 旭栄車 頭取の鈴木将展です。残念ながら令和三年度の袋井北祭りは、中止となりましたが、また来年16町そろっての素晴らしい祭典が出来ることを楽しみにしています。
我が町PR来年こそ、豪華絢爛な山車と共に祭り青年の息の合った勇壮な引き廻しを是非見に来てください。

今年度の頭取の想い

子供からお年寄りまで上久能全体そして北地区が楽しく盛り上がる祭典にしていきたいと思います。

我が町PR

我が町上久能は絆と笑顔溢れる祭典を行っております。
屋台は平成27年に落慶しました。屋台大工は森町(有)山本建築に施行依頼、彫刻は井波彫刻土田さん。
天女の羽衣をまとった様な高欄、御簾脇には鍾馗の鬼退治。
袖には鯉の滝登り欄間には天の岩戸の物語。
天照大神などの彫刻が入っております。

今年度の頭取の想い

令和に入って元年の台風、二年度のコロナウィルスによる中止、そして今年度も大変厳しい状況になりましたが、祭典が開催された時には、それらを忘れてしまうぐらい楽しい祭典にしたいと思っています。

我が町PR

自治会も青年も少人数ですが、子供から大人まで他町に負けないくらい元気で楽しく祭典を行ってます。令和二年度に二代目天満車の袖障子に彫り物を入れました。来年こそはお披露目したいと思います。

今年度の頭取の想い

田町 天恵車 頭取 西山索太朗です。
二年連続祭典中止という異例の事態ではありましたが、天恵車40周年という記念の年に頭取を務めさせて頂いたことは誠に光栄であり誉です。
伝統の祭りを来年以降さらに盛り上げていけるように次に繋いで参りたいと思います。

我が町PR

昭和56年落成以降、本年度田町天恵車40周年という記念の年になりました。令和元年に屋台を大規模改修し、全面に漆を施しました。先輩方から受け継いだ大事な屋台をここまで引継ぎが出来たことは一青年としてこの上ない喜びであり、苦労されて祭りを築き上げて来られて諸先輩方の思いに、わずかながら恩返しが出来たのではないかと感じます。

今年度の頭取の想い

多くの方が祭典を通じて、絆や繋がりが深まる日になり笑顔が溢れるような思いを来年以降にも引き継いでいきたいと思います。
我が町PR
貴町は、緑豊かな山々や田園が広がり久野城跡の史跡があることから歴史のある地区です。屋台には貴町にちなんだ彫刻が刻まれており人形は毎年手作りで制作し、クオリティが高く注目を浴びています。今年は残念ながら披露出来ませんが、来年は是非ともご観覧ください。

今年度の頭取の想い

泉町泉龍車 頭取の野澤浩一です。今年度もコロナ禍のため、大変残念ですが、中止となってしまいました。今後も準備を含め判断が難しい場面が多くなると思いますが、出来ること、考えられることをしっかり町内で準備して、いつでも祭典ができるように努めていきたいと思います。

我が町PR

泉町は他町と比べ人数が少ないですが、団結力が高く、どの町にも負けない仲の良さで祭典をやっています。

今年度の頭取の想い


中久能瑞鳳車頭取の高橋です。
今年度も新型コロナウィルス感染症により祭典中止となってしまいました。残念です。早く新型コロナウィルス感染症が終息し祭典ができるようになり、北地区祭典を盛り上げて行けたらと思います。
我が町PR中久能の青年達は元気で明るく楽しくどの町にも負けない仲の良さです。
その青年達と百名を超える元気な子供達とで屋台を曳き廻す姿は最高なのですが、今年度も祭典中止になってしまい残念です。北地区祭典が開催出来た時には、ぜひ皆さま曳き廻しを楽しんでいるみんなの笑顔を見に来てください。

今年度の頭取の想い

天神町 天神車 頭取の長島透です。天神町は大人から子供まで気軽に祭りに参加でき、安全で楽しく、笑顔を通じ人を繋ぐ祭りです。今年は残念ながら連合行動の中止と自町での屋台の引き廻しを自粛することに致しました。いつの日か人と人を繋ぐ、天神町の祭りを開催できるように町内一丸となり、疫病対策に取り組んでいきます。

我が町PR

天神町は、以前は久能向(くのむかい)という町名でしたが、2002年(平成14年)に区画整理事業が始まり、2005年(平成17年)に久能から独立し、町名を天神町に変更しました。また、屋台引き廻しは北地区の中でも歴史が古く、1972年(昭和47年)に春岡より屋台を譲り受け引き廻しを開始し、その後1974年(昭和49年)町内有志で二代目屋台を新築し、三代目の屋台として1991年(平成3年)に手木より上の部分を改築(新築)し現在に至っています。

令和3年度 鷲巣下鷲栄車 頭取 高木義信 と申します。

本年度も世界的な新型コロナウィルス蔓延という不測の状況下のため、残念ながら袋井北祭り全町全車の屋台引き廻しを行えませんでした。次年度以降はこの新型コロナウィルスの状況が終息することを願うと共に、袋井北地区祭典を通し地域住民全員で将来を担う子供たちの笑顔を絶やさない唯一無二の地域の文化・歴史となるような祭典をこれからも一緒に作っていきたいと考えています。

『”お祭り大好き”な子供がたくさんいる町』
『祭典に対して非常に情熱的で活気のある町』
それが我が町 《鷲巣下》 です。

先人者の話によると、昭和40年代後半、袋井北地区内のあちらこちらで屋台を曳き廻す形での祭典が行われるようになってきたころ、鷲巣下でも昭和49年に【初代 鷲栄車/工匠 名倉建築】が建設され、日吉神社・八幡神社の両神社 神事祭典に屋台の曳き廻しが加わり新たな鷲巣下祭典が始まったそうです。

鷲巣下の住民と32年もの永きに渡り、数々の思い出を育んできた初代鷲栄車はその役目を終え、平成18年に現在の【二代目 鷲栄車/工匠 三室建築】へとその姿を大きく変え、落慶を迎えました。この頃には自治会から祭青年が祭典運営を全面的に任されるようになり祭青年役員を中心に祭典に対する責任感を強く意識するようになりました。鷲巣下鷲栄車頭取も初代(高橋正門氏)から数えて今年で四十七代目になりました。これまでの歴史の中で諸先輩方からの祭典に対する考え方や教えが、祭青年の中に着実に根付いていきました。その教えの一つが、屋台前面に位置する『欄干』に対しても表れています。『欄干』は「屋台曳き廻し」や「練り」のときなどに祭典参加者が上がって盛り上がることがしばしばありますが、鷲巣下では『欄干は神様が鎮座する神聖な場所』として足を踏み入れないことをルールとするなど、鷲栄車歴代頭取が培ってきた伝統と理念、祭典への熱意は今も脈々と受け継いでいます。

鷲巣下祭青年の屋台に対する情熱は熱く、祭青年自らの手で入念にメンテナンスを重ね大切に扱われている二代目鷲栄車は15年経った現在も完成当初から変わることのない姿を保ち続けています。昨年、令和元年9月には鷲栄車の魅力を更に引き立たせることとなる彫金装飾を祭青年の力で増設することができました。これからも、我が町の鷲栄車は袋井一の屋台となるべく、豪華な飾付や迫力ある彫刻で見る人を魅了し続けることでしょう。

鷲巣下祭青年は袋井北地区随一の体制と団結を誇りに、昭和から平成、平成から令和へと続く鷲栄車の歴史と共に、この伝統と精神を次の世代にも受け継いでいきます。

今年度の頭取の想い

昨年に続き、令和三年も袋井北地区祭典が開催できず非常に残念です。新型コロナウィルス感染症の影響が、一日でも早く解消し、以前のような盛大な北地区祭典の実現と、地域のつながり、人とのつながりが戻ってくることを願っています。
我が町PR
山科下自治会は、北地区再西端の町です。元々40軒程度であった世帯数が、ここ10年で、2倍以上の100軒余りの世帯数となり、主に若年層世帯が多い、勢いと活気のある町となっています。
屋台は、昭和45年に建造された、山科上の先代屋台を、平成12年に譲り受け、改築や彫刻の追加を施し、2代目西龍車として生まれ変わりました。現存する北地区の屋台の中では一番古く歴史ある屋台です。彫刻も市内では珍しい、中国の彫り師による、手彫りの彫刻です。
この度、9月には新屋台小屋が完成致しました。自治会のシンボルがまた一つ新たに誕生したことは、大変喜ばしいことです。今度また祭典が開催できる日を願い、子供も、青年も、年配の方々も皆が楽しめる祭りが来ることを楽しみにしております!